塾生の諸君、保護者の皆さん。突然塾を休んで申し訳ありません。

今までの一連の事態の顛末を説明します。  年に一度、正月にはかつての中学時代の仲間と再会し、お互いの現況を報告しながら酒を飲むというのが恒例行事なのだ。中には出世しているものもあれば、結婚、出産、あるいは離婚までも。さらには家を建てている者もいて、自分との差を計りつつ、一喜一憂する。毎年是非とも参加したい旧知の友と酒を飲み、共に語る他の何事にも代えがたいとても楽しみなイベントのひとつなのである。

今年は新年会と称して1月2日に開催されることになっていた。

その当日、わたしは宇都宮の自宅にて、正月休暇をすごしていた。思えば、10月からずっと休みらしい休みをとっておらず、久しぶり休みだった。

ちょうど、蛭子さんが路線バスの旅で、ゴールである長崎のグラバー邸行きの最後のバスにのったころで、時刻は14:05分だった。着替えを始めたわたしはシャツに腕を通そうとするも、左手が動かないことに気づいた。「あれ?」とおもった。何かの間違いだろうと。

目の前で蛭子さんのゴールシーンを見ている妻にこの事態がバレては新年会に行けない!との思いで頭の中はいっぱいになる。しばらく試行錯誤するも、とうとう左手が動くことはなかった。

そうこうしているうちに私の異変に気づいた妻に救急車を呼ぶか?と問われる。ここで「NO!」と断われば、まだ新年会に参加できる!まさに、新年会を取るか命を取るか、究極の選択である。だから、わたしは躊躇した。まさか、もうひとつの選択肢が命だとは夢にも思っていなかった。しかし、その瞬間、すでに119番にコールされていた。救急車はすぐに来た救急車に乗ると、すぐに病院に着いた。病院に到着するとすぐにCTなどの検査が始まった。診断は致死率の高い脳出血(被殻出血)とのこと。いま思い返せば、この119番コールはわが愛妻のファインプレーである。出来た嫁をもらってよかった。そのまま新年会に出かけていれば宇都宮線を使っての電車移動だったろうし、うっかり熱海にまで流れ着いていたら、 今なんとか手にしているこの命はなかったかもしれない。そう思うと怖ろしい。もしかしたら、去年、伊勢神宮に参拝したご利益だろうか。せっかく伊勢参りのおかげで拾った命、まだまだ終わるわけにいかない。左手足に麻痺があるが、記憶障害や失語症などはない。塾生の名前も顔もOBを含め、全員憶えているよ。

そういうわけで、私は現在、受験を目前にして会えなくなった塾生達のことを思いつつリハビリを受け、日々少しずつの変化に一喜一憂しながらすごしている。焦らずコツコツやることを塾生の君達から見習わなくてはならない。

塾生の受験生諸君。私がいま、君達のこと思うと浮かんで来るのは、夏休みから君達と共に過ごした膨大な時間の一コマ一コマである。Eくんのカレーの件、あんな鋼鉄のハートがあって受験でビビることなんてあるのだろうか。12時間特訓講座(特に関数について〕を終えた後の君達の目付きが変わったよな。理系科目に自信を持ち、自分たちでモリモリやり始めたのもあの頃だ。私は君達が楽しそうに勉強する姿が大好きだ。今はこの受験期に勉強する君達のそばに居てやれないのが残念でならない。

定期テストや模試が返ってくるたびに起こった下剋上もよくあったよな。偏差値の出るテストだけ得意なキミが本番でどれだけ結果を出せるかとても楽しみだ。最良の結果が出たら、高校生部屋を高専生に特化した仕様にカスタマイズしよう。そうそうモテ講座もまだだったか。